プロフィール・病歴 profile page

プロフィール


出生地 福岡県
氏名 丈一郎(じょういちろう)
生年月日 平成10年8月2日(9才)
血液型 B型
趣味 プラモデル造り
特技 ゲーム

丈一郎くんの病気の発症から現在に至るまで

平成17年
4月
 小学校入学時の心電図検査に異常がみられたため,久留米医師会館での2次検査(エコー検査)で弁の逆流を指摘されるものの運動や日常生活に支障はないといわれる。
平成18年
9月
定期的な検診を勧められていたため、新古賀病院へ受診。
検査の結果、一部に壁が薄くなっているのが見つかり、福岡市の子供病院を紹介される。
10月 子供病院での検査の結果、心臓の動きに異常はないが心筋症(肥大型、拡張型、拘束型)のいずれかの疑いがるといわれる。
この時特に薬などなく運動制限が入る。
12月下旬 急激な体重の増加とともに、顔や体のむくみが見られ聖マリア病院を受診、ネフローゼ症候群(腎臓病)と診断と同時に、心不全をおこしていると言われる。この時は心筋炎の可能性が強かった。(心筋炎だと、通常2週間ほどで心機能は改善されるとのことだった。)
平成19年
1月中旬
むくみも引き、ネフローゼも落ち着き、プレドニン(ステロイド剤)を半年間服用することになる。
同時に心機能の働きは低下したままもどらず、「拡張型心筋症」と断定され、レニべース、アーチスト、ラシックス、アルダクトン、アスピリン、プレドニン、を服用し退院の許可が出る。
2月 2週間ほど自宅で療養後、学校へ復帰するが4日間しか登校できず、内3日間は、吐き気、動悸、息切れ、胸痛、倦怠感により保健室より連絡が入り迎えに行く。堰が強烈にではじめる。 
3月5日
久留米大学付属病院を受診。心機能が再び悪化しており再入院。
今後の経過を観察するとのこと。この時拡張型心筋症の5年生存率は50%との説明を受ける。BNP,3500
ルプラック、ワーファリン、ジゴシン、の服用が付加。
5月23日 大阪大学医学部付属病院より心臓血管外科の先生に、丈一郎の状態を見に来ていただいた。この時、水分、塩分制限(1日に水分500cc、塩分5g)が入る。
6月21日 東京の北里研究所病院の血液検査で、「βアドレナリン受容抗体」という病原体で陽性と判断され(自分で自分の心臓を破壊してしまう)自己免疫疾患の可能性が考えられた。
10月8日 容態が安定していたため、7ヶ月ぶりに退院。20日間家で過ごす。 
10月27日 急に容態が悪化し再入院。点滴にミルリーラが付加。移植登録をしておいた方がいいと言われる。BNP,6900
11月12日 九州大学病院へ移植登録のため、検査入院、心エコ-(EF)で動きが7%とほとんど機能していないとのこと、余命半年と宣告される。
11月20日 心筋生検、カテ-テル検査。
11月26日 大阪大学付属病院を受診。海外で心臓移植をした方がいいと言われる。
12月4日 検査も無事に終わり、久留米大学病院に戻る。
12月13日 日本循環器学会心臓移植検討委員会へ承認申請と同時に、移植への意志再確認が行われ、ドイツ、ベルリン心臓病センタ-への、受け入れを打診して頂く。
12月15日  福岡ソフトバンクホ-クスの選手が、お見舞いに来ていただいた
12月26日 日本循環器学会心臓移植検討委員会より、心臓移植の適応と承認される。
12月27日  深夜、就寝中に不整脈がでる。
平成20年
1月8日

1月20日

1月23日

1月27日

2月3日



2月5日
補助人工心臓装着についての説明を受ける。
BNP,7980。

内服薬アンカロンが付加。

血圧が下がり強心剤を投与、観察室で様子を見るとの事。

倦怠感を訴え嘔吐を繰り返す。

腹部の激痛と共に致命的な不整脈が止まらず、意識が無くなり、一時心停止となり、補助人工心臓を植え込む手術が8時間に渡りおこなわれ一命を取りとめた。

右心室不全により左心室に植え込んだ補助人工心臓がうまく機能しておらず、再び手術(右心室に機械を植え込みバイパスをつくり肺動脈につなぐ)血液の流れをかえ、循環動態をよくするとの事
6時間渡る手術でした。

手術後しばらくして胸壁より出血がみられ、止血のため3度目の手術。
 2月24日  容態が悪化し、心不全増悪により、深夜1時05分天国へ・・・